毎年桜の季節になると11年前に亡くなった、第32代目の住職であった祖父の事を思い出します。

 

 

祖父の命日は平成21年2月6日ですが、今回お話するのはその前月の1月19日の出来事です。

 

 

この日は31代目住職であった高祖父のお祥月命日をお勤めする予定でしたが、暖房の無い真冬のご本堂内は隙間風が吹き極寒。

 

更に、当時86歳の祖父は足腰が弱っており、杖をつかないと歩けないという状態。

 

そんな祖父を気遣って私の母が、「おじいちゃんは暖かい居間で手を合わせておいてくださいな。ご本堂でのお勤めは私たちだけでおこないますので」と言ったそうです。

 

すると祖父は「わしゃ来年おらんけん、出てくる」と言って、ご本堂でのお勤めに参加したそうです。

 

私はお参りに出ておりましたので、帰宅して母からその話を聞いた際こう思いました、「あっ、覚悟ある生き方とはこういうことか。じいさん、お坊さんみたいだな!」と。(笑)

 

 

あなたは「覚悟」という言葉を聞いた時、何を思い浮かべますか?

 

一般的には、狎犬ることをあきらめる、放棄する瓩箸いΕ縫絅▲鵐垢如▲優ティブな言葉と取られるようですが、覚悟の「覚」とは猝楹个瓩覘瓩箸いΠ嫐。

 

この世界は全てが移り変わる「諸行無常」という仕組みで成り立っており、それ故に生命には「生老病死」という働きがあって限りがあるもの。

 

私たちはただ一人の例外も無く、死すべき存在で、一切の生きとし生けるものは慈しむに値する存在であると腑に落ちることが「覚」。

 

更には、その有限な生命を今日の一日、無駄にすることなく、余すことなく狠匏鏑瓩鬚發辰得犬しきるべく行動するのが「悟」。

 

 

その出来事から間もなく、祖父は肺炎の疑いがあるという診断を受けて町内の病院に入院し、約1週間後の2月6日の明け方に老衰で眠るように亡くなりました。

 

 

そんな祖父の49日忌を迎えた3月末には、境内の桜が咲きはじめていましたので、良寛禅師の辞世の句「散る桜 残る桜も 散る桜」に祖父の最後の姿を重ねて毎年思いだします。

 

私たちの出会いは必ずお別れとセットであり、ある意味「お別れをする為に出会う」ともいえるのではないでしょうか?

 

いつの時代も大なり小なり、常に不安や苦悩に振り回される私たちではありますが、まずは犧Fこの一日瓩髻岾亳隋廚魘擦法∈嚢發里別れに向かって丁寧に生きてみてはいかがでしょう?

 

散ってこそ、また新しい花が咲くのですから。

 

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