カレーは、どの時点でカレーになるのだろう?

 

みじん切りにしたタマネギを炒めながら、ふと、疑問がわいた。

『スパイスを入れた瞬間からです』
『作りたいと思った瞬間からカレーです』
『食べ終わってから、これはカレーだったと気づくのだ』

 

もはや哲学的とも言えるコメントが並ぶ。

 

カレーのことはよく知っているはずなのに、カレーの境界線は人によって様々のようだ。

 

きっと、思っている以上に世の中の「境界線」は曖昧だ。

もしかすると、生と死の「境界線」も曖昧なのかもしれない。

 

大学生のとき、父方の祖父が亡くなった。

 

明治生まれ、軍人として戦争を経験した人だった。

 

90歳を過ぎてからガンを患い、自宅での介護をうけながら過ごしていた。

 

いつしか太ももが私の腕ほどに痩せ細り、ベッドの上から動けなくなっていった。

 


人は老衰で死が近づくと、呼吸が不規則になり、下顎呼吸(かがくこきゅう)というパクパクと下あごを動かすような呼吸が始まる。

 

典型的な「お迎え」の合図である。

 

祖父にもいよいよそのときがやってきた。

 

祖父の寄せては返す呼吸の波が弱くなっていき、そのまま振り子が徐々に運動をやめるように静かに息を引き取った。

 

死はもっと劇的なものかと思っていた。

 

静かに眠っているような祖父の姿を見て、グラデーションのような生と死の境界線の曖昧さに戸惑ったことを覚えている。

 

 

「〇時○分ご臨終です」

 

少し後に駆けつけた医師のこの言葉によって私の中で「境界線」が引かれたとき、はじめて涙があふれた。

生と死の「境界線」は曖昧だ。

 

しかし、生と死の「境界線」を自分で引くことは出来るのだろうか。

 

いや、きっと出来ないのではないだろうか。

 

だからこそ、医師の言葉であり、葬儀という儀式によって「境界線」を引くことが必要なのだと思う。

 

そこに関わっていく者として、どう自分自身の死生観を醸成していくか、どう伝えていくか、これから仏教死生観研究会で研鑽をしていきたいと思う。

今年もあっという間に年末に近づいている。

 

晩秋の夕暮れ、家への帰り道、思わず首をすくめるような冷たい風にのって何処からともなくカレーの香りが漂ってくる。

 

「カレーかぁ、いいなぁ」

 

ノスタルジックな気分に浸りながら、ふとカレーを食べたい衝動に駆られる。

そんなときに便利なのはレトルトカレーだ。

 

ある調査によると2017年のレトルトカレーの売上高が初めて固形の箱入りのルウを上回った。

 

カレーといえばレトルトカレーという時代になるのかもしれない。

 

なぜか少し寂しい気持ちになった。

 

少子高齢化などの影響で、家庭内で1人で食べたりそれぞれが好きなものを選んで食べる傾向が強まっている「個人化」が影響しているらしい。

 

大きな鍋は必要ない。

 

作りすぎることも足りないこともない。

好きなものを好きなように。

 

カレーさえも個人化の時代である。

 

 

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美しい森の水辺。

 

花をにぎりしめ、口元には笑みを浮かべながら水面に仰向けに浮いている老女。

 

そのビジュアよりもさらに目を引くキャッチコピーが添えられている。

 

「死ぬときぐらい好きにさせてよ」

 

2016年、新聞に全身ガンを公表した女優の樹木希林さんを起用した広告が掲載され話題となった。

 

 

世間では「終活」や「直葬」といった死の個人化がさらに加速している。

 

まるで今まで語ることの出来なかった死への不安を必死に拭うように新聞やテレビで連日のように取り上げられる。

 

死のあり方や葬儀が個人の自由に委ねられ、それを社会的規範や文化的慣習に囚われずに個人の価値観や主義主張で決めることができる時代。

 

いっぽうで自由と責任が表裏一体となって、家族を含めた周囲に「迷惑をかけないように」死ななければならないという無言の重圧が我々にのしかかる。

 

自由を手に入れて、死への不安は払拭されるのだろうか。

『独生 独死 独去 独来』(仏説無量寿経)

 

「人はこの世に、ひとりで生まれ、ひとりで死に、ひとりで去り、ひとりで来る」

 

誰にも代わることの出来ないこの自分の人生を私たちは引き受けなければならない。

 

なぜ生きていくのか。どう死にゆくのか。

樹木希林さんのあのキャッチコピーにはこのようなフレーズが小さく添えられていた。

 

「人は必ず死ぬというのに。

 

長生きを叶える技術ばかりが進歩して

 

なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。

 

死を疎むことなく、死を焦ることもなく。

 

ひとつひとつの欲を手放して、身じまいをしていきたいと思うのです。

 

人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。

 

それが、私の最後の欲なのです。」

 

 

「あなたはどう生きますか?」という問いかけ。

 

私はどうしたらいいのだろう?

 

仏教死生観研究会がおこなう「死の体験旅行」は、そんな現代人の不安にひとつの考えるきっかけを与えてくれる貴重なプログラムだろう。

 

 

そんなことを考えているうちに、今日もすっかり日が暮れた。

 

お腹がへった。今夜はカレーを食べよう。

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