「もっとたくさん話しておけばよかったなぁ」

 

葬儀や手続きなどが落ち着いた後、ご遺族の口からこんな言葉が漏れることがあります。

 

思えば私も、亡くなった祖母に聞きたかったことがたくさんありました。

 


私が小学生だった頃。

 

末期の肺癌を患い、治療法は無く、今のような緩和ケアも無く、自宅で母に看病してもらいながら、最後はほぼ寝たきりの生活を送っていました。

 

そんな生活がどのくらい続いたでしょうか。

 

ある日、祖母が真剣な眼差しで私の手を強く握りながら、「一生懸命、勉強するんだよ...頑張るんだよ...」

 

私は「うん、わかったわかった」と、いつものように生返事をしていました。

 

翌朝。

 

母に起こされ、祖母のところへ連れて行かれました。

 

するとそこには沢山の人が集まり、祖母を前に泣いていました。

 

『え?死んじゃったの?』

 

「こっちに来て手を合わせなさい」母に促され、私は祖母に向かって手を合わせました。

 

昨日までは普通に(とは言えませんが)話していた祖母が、病気で弱ってはいたものの、力強い眼差しを残していた祖母が、目を閉じ、冷たくなっている。

 

当時の私にとってはあまりにも現実感がなかったのですが、「もうおばあちゃんとは話せないんだ...昨日の言葉にもちゃんと応えてあげればよかった...」

私の中から大切な何かがスーッと抜けていったような感じがしました。

 

おばあちゃん子だった私にとって、それは初めての喪失体験だったように思います。

 


先日、自坊にて『死の体験旅行』という、ある人物が死に至る物語に自分を重ね合わせることで、自身が大切にしているものがあらわになっていくプログラムを実施しました。

 

参加者それぞれにお話を聞くと、当たり前ですが、大切なもの、その理由、物語は十人十色でした。

 

私がこのプログラムを体験したのは昨年のこと。その時、私が大切なものとして最後に残したのは住職である父。自分自身、とても意外な結果でした。

 

生まれも育ちも熊本で、典型的な「肥後もっこす」という偏屈で頑固な父とは昔からソリが合わず、子供の頃はいつも怒鳴られ、大人になってからもどうしても考えや価値観が合わず、衝突することもしばしばだったからです。

 

それなのに最後に父を残したこと。

 

それは、自分が死ぬことで、お寺、家、家族など様々なことを弱ってきた父に再び背負わせることが、とても申し訳ないという叫びが私の心の中に起こったからでした。

 

「私と父の関係に残された時間はあとどのくらいだろう。今まで1日に何分話しただろう。幾つの言葉を交わしただろう」

 

そのあまりの少なさに、祖母を亡くしたときのように、私の中から大切な何かがこぼれ落ちていった気がしました。

 

『失って、初めてわかる、大切さ』という言葉があります。

 

忙しい忙しいと仕事や予定に追われながら過ごす日々。

 

確かにとても大切なことではあるけれども、それは本当に一番大切なことなのでしょうか。

 

それは自分にとって大切な人が一番望んでいることなのでしょうか。

 


先日の自坊での参加者のお一人が、プログラムが終わった後に、「今まで行こう行こうと思って行ってなかったけど、今度、大切な人のお見舞いに行こうと思います」とおっしゃいました。

 

それを聞いたとき、私は浄土三部経の一つ、仏説阿弥陀経の『倶会一処』という言葉が浮かびました。

 

これは阿弥陀仏のはたらきによって、お浄土で大切な人に再び会うことができるという意味です。

 

「父が亡くなったとしても、確かに阿弥陀さまはお浄土でまた会わせてくれるだろう。でも、再会したときに父は、私は、その再会を心から喜べるだろうか。今のままではそうはならないだろう。親子の時間をもう一度取り戻そう。お互いに心から再会を祝福できるように」

 

私の中に残っていた父に対するわだかまりが、スーっと解けていきました。

 

思えば、私はずっとこの瞬間を待ち続けていたのかもしれません。

「さあ、これからどんな言葉を交わそうか。どんな時間を一緒につくっていこうか。随分と遅くなってしまったけれど」

 

すぐに素直に打ち解けられないかもしれない。

 

でも、暖かく清々しい春の風が私を後押ししてくれてるように感じました。

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